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村山朋彦のYes I can.

2009年9月アーカイブ

魚沼に名店あり!

魚沼市に1軒のお店があります。

地元で採れたものを、地元で旬を迎えるものを出すお店・・・。

割烹料理であり、田舎料理であり、イタリアンであり、フレンチであり・・・かっこよく言えばフュージョン料理って言うんでしょうか、そんなのはどうでも・・・おいしければ、それでいいじゃん。・・・。

で、お店の料理長は、覚張徹さん。

かれこれ8年を超える付き合いになりました。

 

GAKU-SAN 4.JPG 

  

仕事で知り合ったのですが、いつのまにかスタッフみんなと

お付き合いさせていただくようになり、

私たちは、"がくさん"って、親しみをこめて呼ばせていただいております。

がくさんが作る料理は実に多彩。地のものを使った本格的な割烹料理もあれば、地元のそば粉で作ったそば、さらに、イタリアンやフレンチのエッセンスが入った料理もあります。

 

GAKU-SAN 1.JPG 

 

がくさんが作っているのは、ピザです。手作りしたピザ生地の上に

たっぷりのチーズ、そこに自分の畑で取れたトマトにバジル・・・とくに、バジルは太陽の日差しをあびて、いままで見たこともないくらいに、深い緑色で、香りが強いのです。

このピザをお手製の釜で焼き上ると、絶品ピザのできあがりです。

これからの季節は、地元の山で取れた、きのこをたくさんのせたピザも

登場です。魚沼の山の滋味たっぷりのキノコがとっても深みのある旨みを

出してくれます。

 

 

いま、がくさんはとても仕事が大変だそうです。

高速道路の割引などもあって、今年春先から、結構な客入りを期待しては

いたのですが、蓋を空けてみると、残念なことに。

どうやら、高速道路の割引で、みんな県外にでたみたいで、お客さんは

減っているんだそうです。

「地震のときより、いまがもっと大変」

震源地川口町に程近い、がくさんのお店は、5年前の中越地震で大きな被害を受けました。でも、がくさんは、持ち前の「がんばり」でここまでやってきたのです。そんな時より、いまのほうが大変だというのです。

 

GAKU-SAN 2.JPG 

  

しかし、さすが、がくさんは負けません。大変大変って言ってても、ちゃんと次の手を考えているんだそうです。

近々、特製のパンをつくるんだそうです。

ヨーロッパでは、ハーブを入れたパンがある。ならば、地元の山菜を使ってパンはできないだろうか・・・。ハーブとは香草。山菜も、種類によっては香草、充分、おいしいものができるはず・・・。

がくさんの発想は、とっても柔軟です。時には突飛な発想に思えても、

天性の「料理勘」があるようで、きちんとおいしい料理にまとめあげるのです。

 

いっつも前向きながくさん。パンが出来上がる日をスタッフ一同 楽しみに待っていますね。

甲子園

入社2年目だったと思う。当時、甲子園の予選に出場する県内の全ての高校を取材で回っていた。県内108校・・・。4月から7月上旬まで3ヶ月間、1日2校取材する。取材だけでなく映像の編集もあった。いまから思えばとっても失礼な話だが、いい加減、取材に飽き始めていた頃だった。

 

そんな頃、あるショットバーで全国スポーツ誌の新潟支局長と一緒になった。

いまではその全国紙の新潟支局はなくなってしまい、支局長も新潟をはなれたけれど、いろいろな場面でいろいろな話ができる貴重な「先輩」だった。

高校野球の話になった。全ての高校を回るのはきつい。そんな愚痴を話したと思う。先輩は、話に耳を傾けながら、こんな話をしてくれた。

 

夏の甲子園、バックネット裏。放送ブースが並び、記者席が連なる。1日3試合。勝った高校は校歌を披露し、負けた高校は、ダグアウト前で、甲子園の土を集める。そんな光景が記者席から広がる。

そのゲームは序盤で大差がつき、勝敗が決まった。

試合が終了すると、記者席の男性記者がひとりすくっと立ち上がった。その表情から見る限り、ベテラン記者、結構年がいっている。バックネット裏から広がる甲子園のグランドでは勝ったチームの校歌が響いている。そのなかで彼は、負けた学校の校歌を朗々と歌い始めた。よく見れば、目元にうっすらと涙が浮かんでいたという。記者席のみんなは何事かと見つめている。

甲子園で勝ち名乗りをあげた高校の校歌が終わると同時に彼の校歌も終わった。

「すいません、母校が初めて甲子園にやってきたから負けたとはいえ、選手たちに校歌をきかせてあげたかった」

そして、

「1番の子の親はクリーニング屋で手伝いをしながら練習をやっていました。2番の子は・・・・」とナイン全員を紹介し、頭を下げた。

「大変失礼しました」

記者席から拍手が贈られたという。

記憶が怪しくなってきたけれど、確かこんな話だった。

先輩は、「本で読んだ話だよ」と教えてくれた。

 

97年、この夏準優勝した日本文理が始めて甲子園の土を踏んだ。2年生の本格派エースを擁して甲子園にやってきた。

初戦は13日、1回戦の最終日、優勝候補といわれた近畿地方の代表校と対戦した。ゲームは、大方の予想を覆し、日本文理が先行した。しかし、中盤には相手打線が爆発し、終わってみれば大差で負けた。選手たちがグランドをさるとき、放送ブースで思わず叫んでしまった。「よくがんばったぞ」

となりの放送ブースでまだ放送を続けていた公共放送のディレクターに睨まれた。放送ブースで大声を出すほうが悪い。でも、本当に、思わず声がでていた。

 

その初戦から12年。今年春、センバツ甲子園に出場したとき、サインボールをいただいた。真ん中に力強い文字で監督のサインが踊っている。

いただいたときは、この夏に、こんな感動を与えてくれるなんて思いもよらなかった。

 

 

サインボール.JPG 

センバツから4ヶ月あまり。夏の甲子園で、日本文理は甲子園で4勝をあげ準優勝に輝いた。いまとなって、サインボールを眺めると、力強い文字から、夏への強い決意がにじみ出ているように感じる。

 

 

 

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