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村山朋彦のYes I can.

2009年10月アーカイブ

寂しい男は 料理に燃える

最近のマイブームとしては、

料理です。

これまで・・・ピンチョス

 

 

ピンチョス.JPG 

さらに、卵を入れ忘れ失敗したたこ焼き

 

たこやき完成品.JPG 

 

キーマカレー、

 

キーマカレー1.JPG 

 

砂糖を抑えたクッキー

 

 

 

手作りクッキー.jpg 

など、果敢にチャレンジしてきましたが、

ついに・・・

 

 

ライ麦パン.jpg 

 

ライ麦パンに挑戦です。

パンを作る自分がいたなんて・・という驚きも

ありますが、それより何より、こんなに難しいとは・・・

次回!そのライ麦パンとの格闘の日々をお伝えします。

サッカー少年のつぶやき

澤村哲郎さん。新潟県サッカー協会の会長です。

 

 

沢村先生.jpg 

澤村さんは、45年前の新潟国体のときに、選手として新潟に招かれました。

当時の新潟のサッカーは、残念ながら「後進県」。全国レベルで活躍することはありませんでした。そこで、1巡目の新潟国体を契機にサッカーを強くしようと、澤村さんは、オファーを受け新潟にやってきたんだそうです。当時22歳。

そして、迎えた本番の国体でしたが、2回戦で敗れてしまったそうです。当時を振りかえり、澤村さんは「申し訳なかった」と話します。

 

 

国体後も新潟に残り、今度は、指導者として新潟のサッカーを強くするため

がんばりました。そんな澤村さんと私が初めて会ったのは、小学生のとき。

澤村さんが赴任していた新潟工業高校のグランドで行われたミニサッカー大会のときです。なんと、我がチームは、そのミニサッカー大会で、なんと優勝。ほんとのサッカーでは、ベスト16止まりだったチームが優勝したのです。そのとき、澤村さんが、私たちに言った言葉・・・「もっと個人技を高めなさい」。サッカー経験のある指導者がいなかったチームは、ボールリフティングなどの極めて基本的な練習を殆どしていなかったのです。その後、中学生になったときは、トレセン合宿で、さらに、高校生になったときには、澤村さんが指導する新潟工業高校との合同練習でお会いしました。さらに社会人になったとき、当社の始めてのサッカー中継のときは解説を務めてくださいました。

 

1巡目新潟国体から45年。いまのサッカーは、皆さんがご存知の通り。澤村さんをはじめ行政もいったいとなって、アルビレックスが生まれ、ワールドカップも行われ、新潟が、後進県と呼ばれるようなことはなくなりました。

45年前に、澤村さんが新潟にやってきて、種が蒔かれた新潟のサッカー。

45年という歳月で、見事大きな樹に育ちました。 

 

がんばりました!新潟国体

同じ年の浦上幸二郎さん。国体成年男子、バスケットボールの監督です。

 

 

 

uragami.jpg中学時代から選手としてメキメキ頭角を現した浦上さんは、高校時代にインターハイ、国体、ウインターカップと全国大会を経験。3年生の時には、ポイントガード、ゲームを組み立て自らシュートを狙うポジションで全国ベスト8も経験。進学後も、リーグ上位を争う大学で選手として活躍しました。

身長は170cm後半、決して大きくはありませんが、とってもセンス溢れるプレーが印象的です。

 

 

その浦上さんが率いた新潟国体、成年男子バスケットボール。新潟は優勝候補の千葉を延長の末破り、決勝へと進んできました。佐渡両津総合体育館は応援の人たちで満杯。地元の大きな声援を受け決勝に臨みました。

 

 

kannkyaku.jpg 

 

平岡冨士貴さん。35歳。プロリーグのJBLやbjリーグで活躍した選手で、いまはbjリーグ アルビレックスbbのアシスタントコーチを務めています。

 

 

hiraoka coach.jpg 

その平岡さんが現役復帰したのは、ほんの数ヶ月前。新潟に骨をうずめる気持ちでbjリーグのコーチとして活躍していましたが、協会から依頼を受け現役復帰。現役時代より、かなり?ふっくらしましたが、それにしても切れ味鋭いプレーを見せてくれました。

 

でも、新潟は残念ながら一度もリードを奪うことなく山形に完敗。準優勝でした。それにしても、ゲーム終盤でみせた、北さんのこのプレー。

 

 

kita.jpg 

ブロックショットというプレーで、相手が放ったシュートを空中で阻止するという極めて高度なプレーです。バスケの本場、アメリカでは、得点を与えなかったという意味で、ブロック「シュート」と呼び変えているくらいです。

北健太郎さんは、高校時代、全国大会に出場。大学進学後もバスケットを続けいまは地元新潟に戻り後進の指導にあたっています。

それにしても、すばらしいプレーでした。

 

試合終了後、思わず涙ぐむ選手もいて・・・取材しているこちらも思わず・・・

試合後の、浦上監督の「これで充分だった。でも優勝したかったけどね」という飄々と淡々とした話しっぷりがやけにさわやかでした。