バックナンバー 2009年8月

スローフードとは・・・

①伝統的な食文化の保護 ②質の良い食材を供給する生産者の保護 ③食に関する教育

この3つが大きな定義。イタリアで始まった活動だ。

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野菜ソムリエの木村正晃さんは、「地元食材を地元の人がおいしく食べること。

難しいことではありません。」と語る。

木村さんが訪ねたのは、新潟市西区小平方(こひらかた)。

新潟で最初に茶豆が栽培された地域だ。

白井さん.jpg  夜の茶豆.jpg

 茶豆をつくって36年の白井法夫さんも、この地区の茶豆生産者の1人。

今年は長雨の影響に悩まされ、「今年の作柄はマメを作って初めてくらいの不作」と話す。

収穫量は5割から6割程度。それでも全国からの注文に応じるため、

毎日、早朝から収穫作業が続く。

出荷作業.jpg  鮮度.jpg

 鮮度が命の茶豆。マメについた泥を落として選別。

脱水機にかけて、さらに選別。そして、袋につめて出荷される。

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 白井さんが収穫した茶豆は、7割が県外に出荷されているという。

一方で「一番は地元を大事にすること。地元の消費があってこそ、つくる喜びもある。

ダイレクトに反応が返ってくるしね」と話す。

この伝統の食材の魅力をもっと地元の人に知ってもらおうと開かれたのが

もぎたての茶豆を使った創作料理の試食会。

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A alla Z(アー・アッラ・ゼータ)新潟・西区山田3378 ☎025-232-1122

毎月1回のペースで野菜ソムリエの木村さんと廣瀬シェフが提案する

試食会が開かれている。

茶豆だけではなく、ほとんどの食材が県内産という徹底ぶり。

まさに、スローフードの試食会。

ゆでて食べるだけではなく、茶豆にも色んな楽しみ方があると、

提案されたのは6品。全てが絶品だ。

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この茶豆にはこんなデータがある。

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作付面積は山形に次いで全国2位。ところが出荷量は5位となる。

これは、新潟の茶豆がいかに地元で消費されているかを示しているとも言える。

意識して地元のものを食べるまでもなく、

新潟の人は茶豆で無意識のうちにスローフードを実践しているようだ。

データ的に、もっと顕著なのは、ナス。

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新潟はナスの作付面積は全国1位。出荷量は21位となる。

県内ではいろんな種類のナスがつくられていて、各地域によって特徴もある。

食べ方も様々。ナスは、県内の各地域ごとに、ナスのスローフードが実践されている。

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だからこそ、多くの種類のナスがいまでも守られている。

野菜ソムリエの木村さんは、こうした新潟の食文化について

「新潟はスローフードの本場だ」と絶賛。

こうした食材をブランド化して、もっと日本全国や海外にアピールしていくことは

言うまでもなく大切なこと。

しかし、アピールする食材がなければ、それもできない。

地元に伝わる食材を守る。

新潟の人にとってスローフードは、これまでどおり、

地元食材を普段どおり、おいしく食べることでいいようだ。

真夏の選挙戦はヒートアップ。県内各小選挙区の候補者の顔ぶれは・・・

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県内小選挙区には、あわせて23人が立候補した。

特徴的なのは、30代、40代の候補者が目立ち世代交代を感じさせると同時に、

民主党が比較的強い新潟において、自民党が議席を守ることができるかもポイントだ。

番組では、公示日の18日に候補者たちが発した第一声に注目。

新潟国際情報大の越智敏夫教授をスタジオに招いて番組独自に徹底分析してみた。

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<第一声で最初に訴えたことは?>

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<第一声で多かったキーワードは?>

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景気回復を訴えた候補者が最も多かったが、より具体的に農業政策について訴えた候補者が多かったのは新潟らしいところか。一方で、注目されている子育て支援、高速道路の割引や無料化についての訴えは少なかった。特に高速道路については、バラマキ批判に対するものと見られる。

<政党別で多かったキーワードは?>

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自民は景気対策の継続、民主は政権交代を訴える両党のどちらに政権を任せるかばかりが注目される中、もう一つ大きなポイントは少数政党について。有権者は、二大政党制で本当にいいのかという点も問われているといえる。生き残りをかける少数政党が、訴える内容を有権者に届けるためには自民、民主との政策の違いをはっきりと示していく必要があるのは間違いない。

 

ちなみに、番組独自の集計によると・・・

<自分の名前を何回言ったか?>

 最多8回(2人) 平均で約3回

<第一声の演説時間>

 最長で約20分 最短で約3分 平均で約9分

 

自分の名前をアピールしたいのか、政党名で選んでほしいのか。

また、政策の具体的な内容を丁寧に説明するか、政治への思いを熱く語るか・・・

候補者によって訴え方はさまざま。同じ候補者でも、演説する場所によって

違いもあるだろう。投票日まであと1週間あまり。

日本の未来を左右する歴史的な選挙。有権者に課せられた責任も重いはず。

特に将来を担う若い世代の人たちは、よく考えて、ぜひ投票に行こう!

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戦後64年というこの日に、戦争を語り継ぐこと、平和について考える。

コメンテーターの轡田氏は9歳のときに終戦を迎えた。当時住んでいた埼玉から、東京大空襲を目撃したことが忘れられないという。

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県内では長岡市が大規模な空襲に見舞われた。1945年8月1日の長岡空襲。午後10時半、125機のB29が飛来し、924トン、16万発余りの焼夷弾を投下した。1万2千戸余りの建物が消失し街は焼け野原となり、1477人の命が失われた。

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毎年、長岡の夜を彩る大花火。この花火は空襲からの復興と犠牲者の鎮魂の祈りを込めて打ち上げられていることを私たちは忘れてはいけない。

今年、長岡市の戦災資料館に犠牲者の遺影、200点余りが展示されている。

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母や親戚の遺影を提供した藤田淳一さん(81)。今はその母らの寿命をもらって長生きしているのではないかと思っている。空襲当日の朝、勤労動員のために家を出たのが母との別れだった。翌朝、家に戻ったものの、街は焼け野原となっていて、どこに避難したのか、母と再会することも、その遺体を見つけることすらできず、諦めるしかなかったという。

果たしてあの戦争とはなんだったのか。当時、近所に住んでいた1人の子供は、父親が戦死したことを「名誉の凱旋」と話していた。今は戦争の惨さだけが心に残っている。

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武見正廣さん(61)は戦後間もなく生まれた。当然、空襲のことは知らない。しかし、空襲を生き延び、8年前に亡くなった父に代わって、空襲で亡くなった祖父や親戚の遺影を資料館に提供した。父は当時のことをほとんど話さなかったという。それだけ辛い経験だったのだろうと推察している。しかし、亡くなった今となっては、やはり詳しく聞き、子の代、孫の代まで悲劇を語り継ぐべきだったのではないかと思っている。

 

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当時をを知る人が少なくなりつつあるなか、大切なのは、その悲しみと体験を語り継ぐこと。

今月、戦災資料館では、その体験を語る座談会を開いた。

講話に立った遠藤好子さん(64)は空襲の4日前に生まれた。父や兄弟を失いながら、自身は母に守られ生き延びた。当然、自身に記憶はない。しかし、同じく生き延びた16歳年上の兄は、晩年、空襲を語り継ぐ活動に尽力していた。

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兄の思いを受け継ぎ、当時の記憶を語る。16歳という若さで、黒焦げになった父や兄弟の遺体を荼毘に付したという兄。残された遺骨はみかん箱に入れ、母と一晩中、泣き明かしたという。それを語る遠藤さんの目には自然と涙があふれてくる。

一方、戦争の苦しみを抱えているのは犠牲者や遺族だけではない。

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現在は糸魚川市に合併された村で、当時「兵事係」を担当していた山崎英瑞さん(93)。

「兵事係」とは兵役に関わる事務全般を取り扱うこと。その最大の仕事は、いわゆる「赤紙」、「召集令状」をととけることだった。ある村人に届けたときは、「俺が来たということは分かるだろう」と言うと「冗談を言って」と、決して受け取ろうとしなかった。ようやく受け取っても「とうとう来たか・・・」とつぶやき、部屋に入っていった。「赤紙が届くこと」は「死」を意味するに等しかった。冷静でいられるわけはなかったという。「届ける」側だった山﨑さんは、「徴兵を免除されているのでは」と村人の間で陰口もたたかれた。しかし、終戦直前には自分のところにも赤紙は届いた。

幸い、戦地に赴くことなく終戦を迎えた。終戦記念日には実家の寺で鐘を突き続け、青春という人生のもっとも明るい時期に散っていった人々に祈りを捧げている。

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戦後64年。戦争という事実を知る人も語る人も少なくなりつつある。

しかし、戦争は今を生きる人間にとって、かけ離れた事実でもひとごとでもない。私たちは戦争を経験した人々のおかげで今を生きている。

核廃絶、軍縮と平和への取組みは続いている。一方で国内では憲法9条改正の議論などが根強く残っている。

きょう、この日だけでも、戦争について、平和について、全ての人に考えて欲しい。

 

夏の観光シーズン真っ只中。おみやげ選びも旅の楽しみの1つ。新潟にも人気の定番商品があるが、この夏、店頭には新しい商品が目立ち変化が見られる。

 大島と変化.jpg

「大観光交流年」の新潟。多くの観光客が訪れるチャンスととらえ、おみやげ業界では新商品の開発に積極的だ。

 笹だんご.jpg (新潟土産NO.1の「笹だんご」)

定番中の定番「笹だんご」。商品が誕生したころは砂糖が貴重品だった時代で、よもぎ餅の中身は、きんぴらや海藻の惣菜だったという。現在は小豆のあんこが一般的になっているが、ここにきて、新しいタイプの笹だんごが次々に登場している。

 季節笹団子.jpg (左:さくら 中:栗 右:柿)

そのうち、今年新たに誕生した新商品が「チョコレート」「キャラメル」の笹だんご。

 チョコキャラ.jpg (左:キャラメル 右:チョコレート)

長岡市の㈱岩崎の工場で誕生した新しい笹だんご。チーズやヨーグルトなど試作を繰り返した結果、よもぎの風味とマッチしたのが「チョコ」と「キャラメル」だったという。なぜ、新作に挑戦したのか?

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きっかけは、注文をうけているお店からのリクエストだった。長岡駅ビルCoCoLo長岡などで「くぼたや」を出店している朝日商事の長谷川さんは「若い人にとって笹だんごは昔風のイメージ。若い人にも目を向けてもらえるような商品を開発したかった」と話す。大きさも、笹の葉一枚で包める一口サイズに小型化して食べやすさも追求。7月20日の発売以来、評判は上々だ。長谷川さんは「前の新潟国体(1964年)の時、笹だんごの知名度が上がったということで、今回の国体をきっかけに、チョコレートとキャラメル味の笹だんごで新しい笹だんごブームが起これば」と期待を寄せている。

 

新潟土産のもう一つの代表格は米菓。米菓会社でも、この夏、注目の新商品がある。

 かりんとう.jpg(コメで作ったかりんとう)

新潟市の雪国あられが挑戦したのが、小麦粉ではなく、米を使って作った「かりんとう」だ。若い女性向けに油をできるだけ使わずにカロリーをおさえ、軽いスナック感覚の食感に仕上がった自信作だ。

 原料は米.jpg  コーヒー味.jpg

販売されているのは「ごま味」「しょうが味」「甘醤油味」に加え、米菓では珍しい「コーヒー味」。米菓の常識を超えた様々な味にトライできるということで、さらに「いちご味」「キャラメル味」「黒糖味」も試作中だという。昔ながらのお菓子「 かりんとう」が、新しい新潟の米菓みやげとして注目されている。雪国あられの小山社長は「デスティネーションキャンペーンや国体、土と水の芸術祭など、県外の方が新潟にたくさん来るようにと、多くのイベントがある。私たちも大いに、協力したい」と、おみやげの面から大観光交流年を盛り上げたい考えだ。

真夏のおみやげ商戦!競争は激しさを増していくが、こうした中から、新しいヒット商品が誕生するかもしれない。今年は、多くの観光客が新潟に訪れるチャンス。苦労を重ねて開発された地元のおみやげ商品を、私たちも観光客にどんどん自慢していきたい。

 孝司さん.jpg昭一さん.jpg

旧巻町出身の大沢孝司さん。

1947年2月に佐渡市で行方がわからなくなり35年という年月がたった。

北朝鮮による拉致の疑いが濃厚な「特定失踪者」とされているものの、北朝鮮での目撃情報がないため、政府に「拉致被害者」とは認められていない。そのため政府からの明確な支援はなく、弟の行方を捜す兄・昭一さんは、これまで支援者らとともに、家族会などと協力しつつ独自に活動してきた。

歯がゆい政府の対応。

去年は息子の帰りを待ちわびていた父親がなくなり、自身もまた、年老いつつある。

昭一さんは、今回、独自に情報を集めようと支援者らとともに韓国を訪れた。

  離陸.jpg北を見て.jpg

韓国に着いた昭一さんが最初に訪れたのは、北朝鮮を臨む国境に程近い展望台。

そこからは「北」が韓国側への「宣伝用」に作った無人の村が見えた。もしかしたら弟がいるかもしれない土地に、昭一さんは思いを馳せた。

訪韓の目的はマスコミや拉致問題の支援団体、脱北者らに面会し、情報を得ることはもちろん、今後の連携を図ること。脱北者が運営するラジオ局では協力を約束してくれた。しかし、聞かされたのは韓国での「拉致問題」への「関心の薄さ」という厳しい状況だった。

北韓放送.jpg 関心の薄さ.jpg

その理由が、現在のイ・ミョンバク政権になるまで10年に渡って続いた「太陽政策」。

北朝鮮と友好的に統一を図り、拉致問題も追求しないとした方針で、その間、およそ500人いるといわれる拉致被害者は、「進んで北に渡った人」「朝鮮戦争による離散家族」としか扱われなかった

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その後面会した、脱北者からは情報は得られなかった。

マスコミや支援団体との懇談会ではそれまでの韓国政府の対応に対する批判の声が上がった。韓国でも「拉致」解決のためにひたむきに取り組んできたのは、日本と同じ、昭一さんらと同じ被害者、当事者たちだった。

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昭一さんらは、北朝鮮に向かって、金正日体制を批判するビラを風船に付けて送る「バルーン作戦」に参加。孝司さんの情報を求めるビラを同封した。「このビラが、思いが、孝司さんに届け」。昭一さんはそう、思いを込めて風船を飛ばした。

バルーン.jpg見上げる.jpg

  「拉致問題」の解決のためにはマスコミの力の影響も大きい。その点では、現在、韓国よりも日本は協力的と言える。一方、以前、家族会がアメリカで当時のブッシュ大統領と面会した際、マスコミはそのニュースばかり取り上げて「アメリカが解決への協力を約束」とだけ報じた。しかし、議会で「なぜ日本政府がこれまで解決にむけて乗り出さなかったのか」という批判の声はほとんど取り上げられなかった。昭一さんはマスコミに協力を求めつつ、一面的ではない、多方面での報道を求めている。