

旧巻町出身の大沢孝司さん。
1947年2月に佐渡市で行方がわからなくなり35年という年月がたった。
北朝鮮による拉致の疑いが濃厚な「特定失踪者」とされているものの、北朝鮮での目撃情報がないため、政府に「拉致被害者」とは認められていない。そのため政府からの明確な支援はなく、弟の行方を捜す兄・昭一さんは、これまで支援者らとともに、家族会などと協力しつつ独自に活動してきた。
歯がゆい政府の対応。
去年は息子の帰りを待ちわびていた父親がなくなり、自身もまた、年老いつつある。
昭一さんは、今回、独自に情報を集めようと支援者らとともに韓国を訪れた。


韓国に着いた昭一さんが最初に訪れたのは、北朝鮮を臨む国境に程近い展望台。
そこからは「北」が韓国側への「宣伝用」に作った無人の村が見えた。もしかしたら弟がいるかもしれない土地に、昭一さんは思いを馳せた。
訪韓の目的はマスコミや拉致問題の支援団体、脱北者らに面会し、情報を得ることはもちろん、今後の連携を図ること。脱北者が運営するラジオ局では協力を約束してくれた。しかし、聞かされたのは韓国での「拉致問題」への「関心の薄さ」という厳しい状況だった。

その理由が、現在のイ・ミョンバク政権になるまで10年に渡って続いた「太陽政策」。
北朝鮮と友好的に統一を図り、拉致問題も追求しないとした方針で、その間、およそ500人いるといわれる拉致被害者は、「進んで北に渡った人」「朝鮮戦争による離散家族」としか扱われなかった 。


その後面会した、脱北者からは情報は得られなかった。
マスコミや支援団体との懇談会ではそれまでの韓国政府の対応に対する批判の声が上がった。韓国でも「拉致」解決のためにひたむきに取り組んできたのは、日本と同じ、昭一さんらと同じ被害者、当事者たちだった。

昭一さんらは、北朝鮮に向かって、金正日体制を批判するビラを風船に付けて送る「バルーン作戦」に参加。孝司さんの情報を求めるビラを同封した。「このビラが、思いが、孝司さんに届け」。昭一さんはそう、思いを込めて風船を飛ばした。

