新潟あの時そして今⑦
19年前の11月、新潟市の新潟市民病院を
沢山の拍手に送られて退院した
ロシアのアレクセイ君を皆さん覚えていますか??
当時4歳だった愛くるしい少年は、
ウラジオストックの自宅で身体の40パーセントの火傷を負い、
日本で治療を受けるために
当時貨物便しかなかった
新潟とを結ぶ飛行機で急遽やってきました。
その数ヶ月前、サハリンで大火傷をし、
北海道で手術を受けたコンスタンチン君は
そのかわいらしい笑顔であっという間に日本中をとりこにし、
億を越える寄付金が集まりました。
そのコンスタンチン君がまだ日本で治療中の中、
新潟にもふって沸いた出来事。
これには、当時の旧ソ連の大きな事情がありました。
実は当時の旧ソ連は崩壊直前、
これまで分業生産され極東に送られてきていた
医薬品などが行き渡らなくなっていて、
病院で大きな手術ができない状態。
アレクセイ君がウラジオストックの病院に運ばれて来た時、
ちょうど市は
来年の姉妹都市提携にむけて、
新潟市と密に連絡を取り合っていた事もあり、
患者受け入れの打診電話がかかってきたのです。
新潟市は二つ返事で了承。
外務省や貨物便の輸送会社などとかけあい、
アレクセイ君の来新が実現したのでした。
新潟市民病院で50日を過ごしたアレクセイ君、
最期は自分の足で歩いて帰るまでに回復しました。
さて、その後、
新潟市とウラジオストック市は姉妹都市提携を結び、
定期便も開設。
極東からは多くの旅行客が訪れるようになりました。
そして医療交流は続いています。
とくに新潟大学では、
ウラジオストックの医師や医学生が研究のため
留学してくるようになり、
新潟の医学生も夏にウラジオストックに滞在。
お互いの医療技術を高めあい、
どちらの都市でも死亡率第2位という
胃ガンの病原菌を研究したりしています。
新潟大学医学部で研究を続けているイヴァンさんと
細菌学の山本達男教授の手引きで
24歳になったアレクセイ君に会うことができました。
身長187センチ、体重103キロと
立派に成長したアレクセイ君、
寒いと時々火傷の傷跡が痛むそうですが、
住宅建築の仕事に邁進していて、
お金をためて、
婚約者とともにまた新潟を訪れたいと母親とともに話してくれました。