
河井継之助 終焉の地 福島・只見町で再現シーンが収録されました。
出演したのは一般公募(応募242名)で選ばれた宮村達哉さん(河井継之助役)、白川隆さん(外山脩造役)をはじめ廣井晃さん、新保徹夫さん、高橋治之さん、笠原尚三さん、久保田慎さんです。「七人の侍」は、番組の中でも最も重要なシーンを素晴らしいチームワークで演じてくれました。


1868年、北越(戊辰)戦争で長岡城を追われた河井継之助一行は、難所中の難所「八十里越」を経て会津へと向かいます。新政府軍との戦いで負傷した継之助は戸板を使った「籠」で運ばれたと、只見町の郷土史家は考えています。
今回は「戸板籠」を再現し、収録に臨みました。
はりきって籠を担いだ笠原さんの肩はあまりの重さで真っ赤に腫れてしまったそうです。それにしても真夏のロケは辛かった・・・
一口メモ
継之助が実際に山中で詠んだとされる句を紹介します。
「八十里こしぬけ武士の越す峠」
1868年、旧暦の8月4日前後の八十里越は越後から会津へ逃れる長岡藩士で混乱を極めていたとみられます。おそらく、藩士とその家族とを合わせると6,000人近くが只見地方に逗留したと考えらています。何しろ周辺に点在する集落をあわせてもでわずか300軒に満たない地域でしたから、食糧の調達もままならなかったと記録に残っています。
その中でも、重篤な状態でたどりついた継之助一行の存在は只見の人々にとって「大事件」だったと思われます。その「大事件」は今も語り継がれ、現地には「河井継之助記念館」が建設されました。継之助の命日である8月16日には毎年「墓前祭」がとり行われます。

番組のテーマともなっている「志」のリレーは、現地の「河井継之助記念館」に保存されている「河井継之助 終焉の間」で収録されました。これは記念館を管理している(株)会津ただみ振興公社のご厚意によって実現しました。迫真の演技が光る収録の様子は地元紙の福島民報社から取材して頂き、地元の方々の気持ちが伝わるロケとなりました。
詳細は・・・9月13日(月)19:00〜の番組で「確認」して頂きたいと思います。

さて、師と仰ぐ継之助から志を託された外山脩造(幼名 寅太)は一体どのような経緯で関西に出てアサヒビールや阪神電鉄の創業を手がけたのでしょうか?
「勝てば官軍、負ければ賊軍」という言葉があります。脩造は心に刻んだ「志」を頼りに賊軍上がりという「逆境」を次々と乗り越えていきました。日本初の都市間交通と位置づけられる阪神電鉄の開業も実業家 外山脩造の真骨頂といえます。

この写真は1928年に刊行された銅像ばかりを集めた写真集「偉人の俤(おもかげ)」に収録されていたものです。銅像のあった場所は阪神甲子園球場のすぐ側です。脩造は阪神電鉄の初代社長として名を残したばかりでなく後に甲子園球場を建設した才能溢れる若手を抜擢しています。関西を代表する場所に銅像が建立された所以です。

脩造の故郷を訪れた経験を持つ阪神元監督の星野仙一さんは、番組の中で「外山さんは自ら手がけた事業もさることながら若手を抜擢して育てた功績も大きなものがある」と話しています。
番組ではこれまで伝えられることが殆どなかった事実や脩造の功績を紹介しています。
是非、ご覧になって頂き、感想をお寄せ下さい。

