五泉市と北越戊辰戦争

五泉市は阿賀野川左岸に広がり、菅名岳を始めとする山々と渓流が多く自然に恵まれた地域。毎年地元の銘酒「菅名岳」の仕込みに使う寒九(寒の入りから9日目)の水汲みには全国からたくさんの人が訪れます。
村松藩3万石は奥羽越列藩同盟の一員として薩摩・長州を始めとする西軍と戦いました。

 

img-odiya1城跡公園

村松藩堀家三万石の居城、村松城跡を整備した公園です。江戸時代、村松藩は村松地区を城下町として、七谷(加茂市)・下田・見附など山間部を中心に治めていました。県内でも数少ない城主格の大名であった堀家の居城跡が現在城跡公園として整備されています。城跡公園は、城跡の一部や昔のままの土塁や水濠を復元した、城下町のかおり漂う憩いの公園です。公園内には、郷土の変遷・村松藩についてもわかる村松郷土資料館があります。
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ファブルブランド商会製置時計

河井継之助は、藩の軍備増強に努め、先進的な兵器の購入を行い、積極的な軍制改革を行いました。そのうちの一つが、横浜にあったファブルブランド社から購入したと伝わるガトリング砲です。小銃が一般的だった当時、1分間に200発の連射が可能という、最新鋭の機関銃でした。当時の日本にはガトリング砲が3門しかなく、そのうち1門は河井が購入したものだったと伝えられています。ファブルブランド商会は横浜に拠点を置いており、薩摩藩・長州藩に武器を提供したグラバー商会や、幕府と関係の深かったスネル兄弟と同様に、戊辰戦争で大きな影響を与えました。五泉市には、ファブルブランド商会製の現役の柱時計があり、現在も時を刻み続けています。
個人所有

 

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英林寺

英林寺は、村松藩代々の菩提所となっていたお寺です。村松藩祖堀直寄が村上に創建したお寺ですが、村松に堀家が移封になった時に移転したと言われています。山号を凌雲山といいますが、これは幕府が江戸に寛永寺を作る際に、直寄が屋敷地であった上野の山を幕府に献上し、凌雲寺という寺を建立し、その寺の名にちなんだものです。英林寺には、藩祖直寄のほか、4代直為、7代直方、10代直休、12代直弘ら、村松藩主の墓があります。
住所 ≫ 五泉市村松甲5797

 

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佐取古戦場

戊辰戦争の戦場となった白虎隊ゆかりの地です。慶応4年8月7日、会津白虎二番寄合隊ら会津軍は、会津領最北端の佐取(五泉市)に陣を構えました。佐取山(大久保山)と陣ヶ峰に布陣し、白虎二番寄合隊は千メートル離れた佐取集落石井方に待機しました。10日阿賀野川対岸の小松・石間で激しい戦闘が開始され、そこに布陣していた会津軍が苦戦していたため、佐取の会津兵の一部が援軍に赴きました。
一方、新政府軍は、馬下上手から渡河、佐取山の下手に約80名が上陸。二手に別れ、一隊は陣ヶ峰、もう一隊は佐取山を迂回し、ここに布陣する会津軍を挟撃する態勢を取り、激烈な戦闘が開始されました。白虎二番寄合隊は、佐取山へ向けて応援に駆けつけましたが、白虎隊士星勇八が戦死を遂げています。多くの戦死者を出した会津軍はついに敗れ、長徳寺・石井佐久次方に火を放ち退却しました。焼き払われた長徳寺は明治12年に再建され、佐取で戦死した星勇八の霊もここに祀られています。
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