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2025.03.12【特集|県北部の医療拠点に何が…】“産科休止”若手助産師の葛藤・院長の苦悩に密着-地域医療の“今”②【新潟】

【特集|県北部の医療拠点に何が…】“産科休止”若手助産師の葛藤・院長の苦悩に密着-地域医療の“今”②【新潟】
助産師2年目の島田遥さん
3月で出産の取り扱いを休止するJA県厚生連・村上総合病院の密着第2弾です。県北部の医療を担う〝北の砦〟の現状から地域医療の未来を探ります。

2月7日。
午前の喧騒が一息ついたころ、一組の親子が沐浴室にやってきました。川崎愛美さん。3日前に出産したばかりです。指導するのは、助産師の島田遥さん。

■島田遥助産師
「一番先にお顔を拭いたら、あとは好きな順番に。」

助産師になって2年目の島田さん。中学3年生の時、職場体験で村上総合病院を訪れたのがきっかけで医療の道を志しました。学生時代、実習で見学したお産が忘れられなかったといいます。

■島田遥助産師
「産婦さんを励まして、お産を進めていく。お手伝いしていく助産師の職業、助産師さんの姿にすごく憧れて、助産師になろうと。」

最初は戸惑いました。

■島田遥助産師
「つらいお母さんにどう関わっていくか。全然力量不足で、自分の声が説得力がないのか、お母さんの助けになっていないのかなという気持ちの方が強くて。」

ようやく自信を持ち始めた2年目に飛び込んできたのが、出産取り扱いの休止でした。

■島田遥助産師
「今年やめるんだという衝撃。お産をしない地域になるんだなって。」

8人いた助産師も6人に減る中、島田さんは悩みました。
これまで取り上げた赤ちゃんは37人。

■島田遥助産師
「大学の同期が『50人取り上げました』という話も聞くので、それはすごい焦りましたね。数字で見ると、圧倒的に自分が遅れていると。自分がここに残って意味はあるんだろうか。産後のお母さんやベビーちゃんたちがまだ村上市にいる中で、助産師として何か尽力できるのかな。」

結論が出ないまま、年を越しました。

JA県厚生連の経営危機は、地域医療を担う11の病院を直撃しました。県立病院とは違い、赤字が税金で補填されることはありません。その分、人件費のカットに直結します。厚生連が打ち出した『緊急対策』は厳しいものでした。

杉谷想一院長は「大反対だった」といいます。

■杉谷想一院長
「色々な業種が初任給も含めて給料が上がっている。ボーナスも増えている現状の中で、医療業界だけが、しかも厚生連一律カットっていうのは、非常にネガティブメッセージ。厚生連から他の施設への人材流出が起こってしまうんじゃないか。実際に起こっています。これはすべきではなかった。」

国の制度も、不利に働きました。

■杉谷想一院長
「大きな病院・職員の多いところは加算が手厚くつくので、同じ治療をして同じ患者さんに対して行った医療行為に対する報酬が違う。地方の弱小病院は、忙しくなればなるほど(職員が)辞めてしまうほど1人の負担は増えて、なのに給料カットされてしまう。」

杉谷院長は、職員と面談して「辞めないでほしい」と呼びかけましたが、返ってきたのは厳しい声でした。

■杉谷想一院長
「一番厳しかったのは『新潟県では働けない』『県外に行きたい』。止める材料がないですね・・・。」

杉谷院長は仕事始めのあいさつで、昨年度の決算では前年比で9000万円のプラスに転じていることなど〝右肩下がり〟ではないという点を強調しました。

■杉谷想一院長
「経営面で実は良くなっているところも多々ある。『頑張っても潰れてしまう』という恐怖はないということは、しっかりと説明しました。」

前向きな意見も多く寄せられました。
〝患者のために何ができるか〟

産科からも声が上がりました。
新たな取り組みの中心は、助産師の佐藤佐智子さんです。勤務歴30年。出産数の減少を肌身で感じてきました。

■佐藤佐智子助産師
「新型コロナもきっかけで、(出産数が)ぐっと減りました。そこから本当に坂を転がり落ちるように。」

それでも、杉谷院長たちには言い続けました。

■佐藤佐智子助産師
「ここをやめてしまうと、移動に1時間以上かかる人たちが本当にたくさん出てしまうんだというところでは、お産という〝時間との勝負〟になるかもしれない。ここは『最後の砦』として本当は取ってほしいんだというのはずっと言ってきました。」

公表1カ月前、佐藤さんは出産受け入れ休止を知らされました。

すでに〝決定事項〟なすすべがありませんでした。

■佐藤佐智子助産師
「私たちが市民を頼るのではなく、もっと私たち自身も何かできたかなっていう後悔もあります。」

自分たちに何ができるのか・・・。
提案したのが助産師による『産後の訪問ケア』です。産後ケアは外来などで受け付けていましたが、自ら病院の外に出ようという試み。

■佐藤佐智子助産師
「何か困り事があったときの相談の窓口として、私たちが『ここにいる』ということは発信し続けようと。私たちは、今までの形だけでなく、院内にとどまらずに外に出ていきたいと。」

助産師たちの訪問ケアは、新年度からの開始が決まりました。

■杉谷想一院長
「『患者さんのためにこんなことをしたい』という意見があって、『無駄』『お金にならないからやめよう』と言ってはいけないなと肝に銘じました。」

杉谷院長には、心がけていることがあります。

■杉谷想一院長
「給料は厚生連全体で決まってしまうので、私に権限はありませんので、とにかく付加価値じゃないですけど、風通しがよくて、ハラスメントがなくて、仲が良くて。とにかく仕事がしやすい病院をつくろうという雰囲気づくりとか『今までできなかったことができるのであれば、忙しくて少々安い給料でも頑張る』と言ってくれた職員が多々いる。やりがいのある仕事をさせてあげたい。」

島田さんも決心しました。
新年度から半年間は産後の訪問ケアに参加しながら、出産の取り扱いができる病院への移籍を模索することにしました。

■島田遥助産師
「産後ケアに参加させていただきつつ分娩介助の手技が鈍らないように、お産があるところに転勤して経験値を積む。それなら1年、目標をもって働けるかなって。」

〝自分の人生を決めるのは、自分〟
背中を押したのは、先輩の言葉でした。

■佐藤佐智子助産師
「分娩の介助という技術を伴うものがあるので、続けていきたいのであればそういった場所に身を置くしかない。経験もまだ数年というところで、彼女たちにそれを迫るのは私たちとしては苦しい思いはあったし、申し訳ないという気持ちはたくさんある。」

この病院でスタートを切れたことに後悔はありません。今も忘れないのが、初めての夜勤で迎えた出産。

■島田遥助産師
「すごく不安で、お母さんの部屋に行って戻ってきて、行って戻ってきてみたいな、もう落ち着きなかったんですよね。(出産後)手紙いただいて『女神のようでとても嬉しかった』と、名前を覚えてくれていたんだと。」

結びには、こう書かれていました。
『2人目ができたら、またここで産みたい』

助産師の仕事は、産前から出産を経て、産後も続くもの-
そう語る佐藤さんは、新たな試みに可能性を見いだしています。

■佐藤佐智子助産師
「(母子が)自宅でどう過ごしているか拝見しながら、具体的にアドバイスできるのを私自身が楽しみにしています。」

JA県厚生連をめぐっては、県立病院との統合を視野に入れた協議が本格化しますが、具体像は明らかになっていません。4月からはベッド数を減らしてスタッフの配置を見直しつつ、新たに訪問診療を始めることにしました。

■杉谷想一院長
「採算の取れる部門だけを残すという発想もあるが、私たちの存在意義が全くそうではない。地域の人たちが安心して暮らせるために、単に便利ということではない。私たちはまず、この地にあり続けることですね。」

3月、杉谷院長は高校生を前に講演しました。地域医療の現状を隠すことなく語りつつ、最後に強調したこととは-

■杉谷想一院長
「人がいない・へき地ということで、この病院をなくしてはいけない。」
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