2023.05.27新発田市出身の実業家 大倉喜八郎 ルーツは新発田藩の「山守」か 疎開からたどる大倉家の変遷【新潟】
78年ぶりに新発田市の疎開先を訪ねた大倉喜彦氏(4月28日)
新発田市出身の実業家 大倉喜八郎のルーツが新発田藩の山林を管理する「山守(やまもり)」をしていたことが、新潟大学の冨沢信明名誉教授の調べでわかりました。
大倉喜八郎は、大成建設やサッポロビール、リーガルコーポレーションなど数々の企業を設立した実業家で、新発田市には、東京・向島にあった大倉別邸にあたる「蔵春閣」が移築保存されています。
先月28日、東京で会社を経営している喜八郎のひ孫、大倉喜彦氏が太平洋戦争中に母親と叔母、合わせて3人で疎開をしていた新発田市米倉集落を訪ねました。疎開していた時期は、昭和20年(1945)のはじめから11月頃までとみられます。
3人が身を寄せていた諏訪家の門には空き家となった今でも、疎開の証しとして「大倉」と記された表札が残されています。さらに、東京に戻る際、大倉家から贈られた家紋(五階菱)の入った正装用の着物も保管されている事実も判明しました。
疎開の事実を基に、同じ米倉在住の冨澤信明新大名誉教授が調べたところ、大倉家は米倉周辺で新発田藩の山林を管理する「山守」をしていたことがわかりました。
これまで大倉家は現在の聖籠町から新発田市のいわゆる下町に移住して質屋を営むなど、商売を繁盛させたことがわかっていました。それより前の大倉家の変遷を明らかにしたことで、冨沢名誉教授は「喜八郎のご先祖は、新発田藩と密接な関係を持っていた。私が現在住んでいるかつての庄屋宅も大倉家の疎開に関わっており調べてみると身近な存在で驚いた」などと話しています。