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2025.03.1110年以上暮らした避難先・三条市から ふるさと・福島に戻った女性「絶対に忘れてはいけない」-東日本大震災から14年【新潟】

10年以上暮らした避難先・三条市から ふるさと・福島に戻った女性「絶対に忘れてはいけない」-東日本大震災から14年【新潟】
震災前まで営んできた美容室を再開
東日本大震災の発生から、3月11日で14年です。ふるさとへの帰還や定住が進む中、今も1700人以上が避難しています。県内では、発生時刻に合わせて犠牲者に追悼の祈りが捧げられました。

■菊池恵子さん
「あっという間だったような長かったような感じ。(3月11日は)絶対に忘れてはいけないなと感じる。」

福島県南相馬市で、美容室を営む菊池恵子さん(62)。3年前に母親の介護のため、10年以上暮らした避難先の三条市から南相馬市に戻りました。

■菊池恵子さん
「父親も高齢なので1人で置いておけないというのもあるし、子どもたちもそれぞれ巣立っていったので決心がついて戻ってきた。」

菊池さんは原発の事故後、長男の翔生さんと長女の葵生さん・祖父母の家族5人で三条に避難しました。子どもたちは、幼い頃から続けてきたテニスを通じて仲間が増えたことが、避難生活の支えになったといいます。

■菊池恵子さん
「(テニスで)子どもたちも元気になって、新潟県の大会にも出させてもらったり楽しくやっていました。」

三条ではNPOの職員として働きながら、子ども2人を育ててきた菊池さん。両親は福島に戻りましたが、子どもたちは三条の小・中学校を卒業しました。

進学を機に南相馬市へ戻ることも考えましたが、新潟に残ることを選択。翔生さんはテニスを続けながら、現在は新潟の高校で働いています。一方、葵生さんは都内で母親と同じ美容師として働いています。

菊池さんの母・保子さん。菊池さんが南相馬市に戻り、2カ月後に亡くなりました。現在は、父親と2人暮らし。自宅の隣では、震災前まで営んできた美容室を再開しました。
しかし、周辺は空き家や売地が目立ち、人もまだ戻っていないといいます。

■菊池恵子さん
「場所は駅の近くなのでいいけど、夜は明かりがないので真っ暗。」


福島第一原発の事故から14年。
これからの生活については-

■菊池恵子さん
「長い目でみたらここにはいないかもしれないし、東京・新潟に行くかわからないが、当面はここで頑張って生活しようと思う。」
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