2025.06.27【特集】創業120年の銭湯 88歳店主のこだわりは「熱々のお湯」【この町で~愛される老舗~|新潟】
創業120年の銭湯『いずみ湯』
時代や景色が変わっても、変わらない場所。熱々のお湯が利用者の疲れを癒します。
新潟市中央区本町通りの住宅街、その一角に銭湯『いずみ湯』があります。3代目の小泉勤さん、88歳。1人で営業の準備を進めます。
■いずみ湯3代目 小泉勤さん(88歳)
「カランのお湯をお客さんは使うわけでしょ。熱くても困るし、ぬるくても困る。それをこれひとつで調整できる。簡単だから、覚えると順番にやっていけば1人で(できる)。いい世の中になりました。」
『いずみ湯』は1905年、勤さんの祖母が開業。それから120年、場所を変えることなく、地域の銭湯として客の疲れを癒し続けてきました。
創業以来変わらないこだわりは、〝新潟市で一番熱い〟と自称するお湯の温度。男湯・女湯に浴槽が2つずつあり、熱い方はなんと48℃前後。水で薄めて好みの温度で入る客が多いといいます。
■いずみ湯3代目 小泉勤さん(88歳)
「熱いですよ、うちの風呂は。(熱い人は)小さい方の浴槽をじゃんじゃん薄めて入りなさいと言っている。うちのお客さんは熱いのが好き。(Q.熱いお湯のいいところは?)上がったとき、スカッとする。」
お湯を沸かす釜は、約90年間同じものを使い続けています。
■いずみ湯3代目 小泉勤さん(88歳)
「この商売を始めたときは、もうこの釜でしたからね。この中のお湯を沸かして、お客様が入る浴槽に送る。他の銭湯はボイラー(が主流)。」
昔は薪をくべて沸かしていましたが、今はガスを使っています。
■いずみ湯3代目 小泉勤さん(88歳)
「(昔は)ここに薪を入れる場所があって、ここに投げ込んでいた。(昔と比べて)楽になった。そこのボタンをポチって押せば、ゴーっていくんだもん。昔なんかヨイショ ヨイショって(薪を入れていた)。」
午後2時45分-
「はいどうも~。はいありがとうさま~。」
熱いお湯を求めて、常連客がやってきました。
■常連客
「1日おきに来る。なきゃ困るよな。」
■常連客
「(通い始めて)10年になるかな。やっぱり落ち着くね。」
月に5回ほど来るという、近所で暮らす男性。自宅のお風呂では味わえない“特別感”があると言います。
■常連客
「やっぱり温かいお風呂ですね。温まりが違いますもん。風呂終わったあとで、ずっと体が温かくて。」
毎日通う常連客に魅力を聞くと-
■毎日通う常連客
「親父(勤さん)に尽きるよ。勤さんが面白いからね。」
■いずみ湯3代目 小泉勤さん(88歳)
「(Q.常連の人との会話は楽しい?)そう!それが楽しいんだ。」
勤さんは、〝客との交流〟が何より大切だと言います。
そう考えるようになったきっかけが…61年前の新潟地震。新潟市は最大震度(当時の基準で震度5)を観測し、中心部では津波や液状化現象の被害が広がりました。
■いずみ湯3代目 小泉勤さん(88歳)
「ここが一番沈んだんです。それを上げて直して。」
いずみ湯は、床が沈んだり壁画が崩れたりするなどの被害を受け、一時休業。勤さんは、復旧後に客からかけられた言葉を忘れないといいます。
■いずみ湯3代目 小泉勤さん(88歳)
「直ったときに来てくれて『頑張れよ』って声をかけられたときに、本当にお客さんっていい人ばっかりだなと思いましたね。『がんばったな、がんばったな』ってお客さんが言って。」
それまで会社員として働きながら2代目を手伝っていた勤さんですが、地震の後、会社を辞め家業に専念。1990年に3代目として『いずみ湯』を継ぎました。
■いずみ湯3代目 小泉勤さん(88歳)
「なくなったでしょ。長屋がみんな駐車場になって。今は近所のお客さんは少ない。」
かつては近くにあった長屋の住民などが日常の入浴にいずみ湯を使っていましたが、今は近くのスポーツ施設の利用者や県外など遠方からの旅行者が増えていると言います。5月からは、これまでしてこなかったシャンプーやリンスの販売をスタート。客層の変化に合わせた新たな取り組みです。
それでも、変わらないのが-
■いずみ湯3代目 小泉勤さん(88歳)
「結局、心と心ですわ。お客さんも応えてくれますから。」
営業は、夜の9時までです。
「じゃあどうも。どうもね。ありがとうございました。よろしく。」
下町の銭湯として積み重ねた120年の歴史。今日も『いずみ湯』の熱く、優しいお湯が客の心と体を癒しています。
■いずみ湯3代目 小泉勤さん(88歳)
「お客さんが『いずみ湯』っていうことを忘れないで風呂に入ってくれた。体が続く限りやっていきます。お客さんから喜んでもらいます。」