2025.10.23【中越地震から21年】当時避難所となった小学校 経験を語り継ぐ【新潟・小千谷市】
宮崎市長が伝えたのは〝自助と共助の大切さ〟
中越地震で震度6強の揺れに襲われた小千谷市。
■岡拓哉アナウンサー
「小千谷市の吉谷小学校です。私も21年前にこの小千谷市で被災しました。あの揺れは今でも忘れません。吉谷小学校も当時大きな被害を受け、避難所となりました。グラウンドには多くのテントが立ち並んだということです。」
吉谷小学校は多くの近隣住民が避難し、1カ月にわたって体育館を避難所として開放しました。
校舎も・・・プールも・・・あれから21年。当時の傷跡は見えません。
■岡拓哉アナウンサー
「21年にあわせて、小千谷市の宮崎市長が自ら当時の体験を児童たちに語っています。」
■小千谷市 宮崎悦男市長
「これ見てもわかるように、もうまっすぐ建っている家が全然ない。全部倒壊してしまってうる。電柱も全部斜めになっている。」
講話を聞いた3年生から6年生の児童は、中越地震から約10年が経って生まれた子どもたち。宮崎市長が伝えたのは〝自助と共助の大切さ〟です。
■小千谷市 宮崎悦男市長
「90%以上の人たちが地域の住民に救出されている。いざというときに助け合える、つながりを持っていること。吉谷小学校で過ごしているつながりは、大人になってもずっと大切にしてほしい。」
■6年生
「(学んだのは災害が)いつ起きてもおかしくないということ。(Q.その時のためにどんな備えをしたい?)自分では助け合い。助け合いの思いを心の支えにしていきたい。」
23日の給食は「防災給食」。
災害時に食材が手に入りにくい状況で、どう栄養バランスを確保するかがテーマです。缶詰や常備野菜でアレンジしたストックサラダ。常温保存できる魚肉ソーセージや、緊急時のビタミンとなるフルーツ缶、避難所などでの炊き出しを想定した豚汁が並びました。
■6年生
「シンプルなもので作られているけど、味がしっかりしている。災害のために缶詰や水などを(家に)置いておきたい。」
■小千谷市 宮崎悦男市長
「もっとも伝えたいのは、そのときに小千谷市民がどういうふうに動いて、どう助け合って未来につないだかということを伝えていきたい。」