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2026.03.18【特集】当事者が語る 原発「賛否」の攻防:シリーズ・柏崎刈羽原発②【新潟】

【特集】当事者が語る 原発「賛否」の攻防:シリーズ・柏崎刈羽原発②【新潟】
渦中にいた当事者たちが歴史を語る
柏崎刈羽原発をめぐる新潟の半世紀をひもとくシリーズ企画。
原発誘致から約60年。この間、賛成派と反対派が激しくぶつかってきました。その渦中にいた当事者たちが歴史を語ります。

1980年12月―
原発建設に反対する人たちが声を上げました。

■当時の音声
「反対派では昨夜から今朝にかけ、5700人が公開ヒアリングが開かれる武道館周辺にピケを張りました。」

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2025年12月、海辺に面した住宅街にある柏崎市武道館。その日は寒い一日でした。

■元柏崎市議 矢部忠夫さん
「最初は天気が良かったが、夜の10時過ぎかな。氷が降っていてずぶぬれになって。」

市の職員だった矢部忠夫さんは、当時この場所にいました。
原発反対派の一員として・・・。

1980年、柏崎市武道館に全国から押しかけた6000人の反対派。この日、柏崎刈羽原発2号機と5号機の公開ヒアリングが開かれました。増設をめぐり、国と東京電力が地元住民の意見を聞くとして開催したものです。

反対派はこれを阻止しようと会場を包囲。当時、県警史上最大と言われた1200人の機動隊と衝突しました。

■元柏崎市議 矢部忠夫さん
「あれは形式的な公聴会だととらえていた。なんだかんだ反対意見を言っても結局は推進するための儀式だから、そんなのは出席しても仕方がないと。」

矢部さんは、誘致決議前から反対運動に参加。当時から原発に不安がありました。

■元柏崎市議 矢部忠夫さん
「放射能の問題とか、使用済み核燃料の保管の問題とか、最終処分の問題とか解決していないわけで、どうするんだと。」


一方、反対派の包囲網を突破しようとしていたのが、当時 商工会議所にいた内藤さんたちです。

■柏崎商工会議所 元専務理事 内藤信寛さん
「推進の意見をする方も(前日から)一緒に泊まって、車で私が運転した。反対派に止められて『お前たちどこに行くんだ』と。『なんで俺たちがいるのかわかっているのか、絶対にダメだ』と言われたんだけど、無理やり車を置いてでも入った覚えがある。」

混乱のなか、ヒアリングは予定通り実施。窓が板張りされ、物々しい空気の中で約20人が意見を述べました。


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そのとき、陳述人として出席していたひとりの男性。土地改良区の役員として出席した三富佳一さん。増設を訴えたと振り返ります。

■元県議 三富佳一さん
「安全を確認しながら近代技術で不足している東京に電気を送る。そのために柏崎は貢献している。自分の子どもたちや兄弟たちが、みんな(東京に)行っている。なぜそれが(電気を)送ってやるのが悪いの。」

角栄と同じ、西山町に生まれた三富さん。雪深い地域で峠に断絶されたふるさと・・・。高校に通うにも徒歩で1時間半の道のりだったといいます。

■元県議 三富佳一さん
「我々の地域が外へ出てみれば見るほど、ここはやっぱり遅れていた。」

角栄の後援会・越山会の地元世話人を務めました。

■元県議 三富佳一さん
「地図に書いて(目白に)持っていって、ここにトンネルが欲しいとか、ここは道路が狭いから何とか広げてほしいとか、そういう陳情はよくやった。」

原発についても陳情したという三富さん。その後、10期 県議会議員を務めました。


1985年-
柏崎刈羽原発は1号機が運転開始。その後、7号機まで増えました。

1997年にはすべてが稼働し、世界最大級の『首都圏の電源基地』となりました。
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