かつて日本の物流の中心は日本海と瀬戸内海でした。蝦夷から新潟町を経由し、天下の台所大阪へとつながっていました。
そして信濃川、阿賀野川は内陸部と結びついた高速大量輸送路です。新潟町はその中心で発展してきました。当時の「新潟」は信濃川左岸です。
明治以降、物流が太平洋側に移ったことで拠点性は薄れましたが、都市間競争時代の今、新潟市が発展を続けるには左岸の私たちが声を上げ、日本海で繫がる対岸を視野に、世界のNiigataの存在感を発揮する。そのために今、できることを始めましょう。
株式会社新潟ビルサービスは、江戸時代半ば間瀬(いまの新潟市西蒲区)から新興の湊町新潟に移り、明治初年まで廻船問屋を営んでいました。廻船問屋の株仲間が廃止された後、船具商を営む傍ら沿海州、樺太の漁場開拓に参入。戦後は船具の中の船舶塗料から、塗料全般を取り扱うようになりました。その塗料の中に床用ワックスがありました。当社はワックスを販売し、お客様が塗っていました。
その後お客様の要望でワックスの施工も行うようになり、ビル清掃業を開始したのが昭和30年の新潟大火の翌年です。建物の不燃化の方針の元、新潟市はビルの建築がはじまりました。化学系床材が普及したのがこの時です。
ビルの建設とともに警備や設備運転、定期点検と言った仕事も始まり、総合ビルメンテナンス会社となりました。
当社は成功体験に安住することなく、お客様の求めに応じ業態さえ変え、時代に対応してまいりました。新潟町の歴史と伴に歩んで260年になります。現在はビルや施設の運営から点検整備まで、幅広くビルに係る仕事をしています。