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2025年08月23日(土)本日の番組表

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2025.08.20【特集】中越地震の9時間後に誕生:山古志の人から学んだ〝温かさ〟新米美容師20歳の思い【新潟】

【特集】中越地震の9時間後に誕生:山古志の人から学んだ〝温かさ〟新米美容師20歳の思い【新潟】
新社会人として奮闘する樺澤あいらさん
2004年10月23日に発生した中越地震。
その9時間後に産声をあげた長岡市山古志出身の女性がいます。二十歳になった今、ふるさとへの思いを胸に、新社会人として奮闘する姿を取材しました。

長岡市内の美容室。ここに1人の新米美容師がいます。
樺澤あいらさん、20歳。長岡市山古志出身でこの春に美容の専門学校を卒業し、この美容室に就職しました。

■樺澤あいらさん
「入りたてのときは、夜になると足がだるくて動けなかったが、最近は慣れてきて楽しさややりがいも大きくなってきたので、今はそんなにつらくない。」

あいらさんが生まれたのは、中越地方が激しい揺れに見舞われた9時間後でした。2004年10月23日午後5時56分に発生し、68人が犠牲になった『中越地震』。とくに被害が大きかった地域のひとつが、当時の山古志村です。

その日、母親の裕美さんはあいらさんの出産のため山古志を離れ、長岡市内の実家に帰省していました。

■あいらさんの母・樺澤裕美さん
「ドンといったあとに縦揺れから横揺れがあった。いろんなところがゆらゆら揺れて、いろんな物が散乱して、立っていられないような状態だった。」

経験したことのないような揺れに恐怖を感じたという裕美さん。家族や家に大きな被害はありませんでしたが、安心したのもつかの間、夜に陣痛が始まりました。夫と向かった病院は、騒然としていました。

■あいらさんの母・樺澤裕美さん
「救急車も何台も止まっていたし、ロビーにはケガをした人や体調が悪くなった人が座っていて、状況はいつもと全然違うような感じだった。」

余震や停電が繰り返し起きる中、陣痛は強まります。

■あいらさんの母・樺澤裕美さん
「この子を産まなければいけないという気持ちが大きくて、電気が消えたりしてハッと思ったが、まずは出産に力を注いだ。」

看護師から励まされながら午前3時半、無事出産。

■あいらさんの母・樺澤裕美さん
「うれしかったしホッとしたのが一番。(あいらさんの)顔を見たときは泣けたし、産まれてきてくれてよかったと思った。」

地震後、山古志村は長岡市への全村避難を選択します。あいらさんも約2年半、長岡市内の仮設住宅で育ちました。

■あいらさんの母・樺澤裕美さん
「山古志に住んでいるとき以上に近所との距離が近かったので、子どもたちを連れて外に出ればいろんな方が声をかけてくださったり、地震の翌日に産まれているので『この子が地震の子だね』と話してくれた。」

あいらさんも、山古志の人の温かさを感じて育ってきました。

■樺澤あいらさん
「支援物資が学校に当たり前のように置いてあったりして、いろんな人に助けてもらった。あいさつを朝してくれて、自分のおばあちゃんがいっぱいいるみたいな地域の温かさを感じていた。」

高校生のころには「将来自分も人と接して役に立ちたい」と考えるようになり、美容師を目指すことを決めました。

■樺澤あいらさん
「力加減大丈夫ですか?ありがとうございます。」

夢をかなえたあいらさん。新人のためヘアカットは担当せず、シャンプーやマッサージなどを任されています。

■樺澤あいらさん
「スポーツ強いですよね、帝京(長岡)。」
■お客さん
「はい、強いです。」
■樺澤あいらさん
「帝京の前を通るたびに○○部と書いてあって、すごいなと思って。」

心がけているのは、山古志の人から学んだ〝温かい〟接客です。

■樺澤あいらさん
「周りの人から明るいとか笑顔が多いと言ってもらえることがあるので、自分の良さを生かしたりお客さんも笑顔になってもらえるように、笑顔で明るく接することを心がけている。」

仕事が終わると、講習が始まります。
この日は『ヘアカラー』。基礎的な業務をマスターするまでカットは担当できません。

■先輩スタッフ
「曲がってやっているから自分のひざを落としてまっすぐ、もうちょっと。」
「新人にしては上手にできているので、もっとコツコツ練習を頑張ってやる。」

一人前の美容師への道のりは、これからです。


8月に開かれた山古志地域の『二十歳のつどい』。
今年は、中越地震の年に生まれた3人が出席。あいらさんも、もちろんその1人です。裕美さんもわが子の晴れ姿を見守ります。

代表して小川優さんが、二十歳の決意を述べました。

■小川優さん
「私たちは山古志の自然と人の温かさに恵まれたことを誇りに、精いっぱい歩んでいくことをここに誓います。」

あいらさんは式典を終えて、山古志への感謝の気持ちと決意を話しました。

■樺澤あいらさん
「周りの支えがあってこそ、今の山古志があるということをすごく感じる。自分たちが元気に頑張っている姿をみんなに見せることが一番の恩返しなので、そういう姿を見せられるように成長していきたい。」

最後に、母親への気持ちをきいてみると-

■樺澤あいらさん
「大変なことがいっぱいあったと思うんですけど、ここまで育ててくれて感謝の気持ちでいっぱいです。」

■あいらさんの母・樺澤裕美さん
「(Q.それを聞いていかがですか?)元気に育ってくれたので、こちらこそありがとうございます。」
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