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2025年08月09日(土)本日の番組表

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2025.08.07【特集】新潟出身の若きバレエダンサーがバレエ団に「舞台に立ち続けたい」海外留学を経て勝ち取ったプロの世界【新潟】

【特集】新潟出身の若きバレエダンサーがバレエ団に「舞台に立ち続けたい」海外留学を経て勝ち取ったプロの世界【新潟】
日本最高峰のバレエ団へ 五月女翔子さん(18)
この秋、バレエ団に入団する新潟出身の女性がいます。海外留学を経て勝ち取ったプロの世界に挑む〝若きバレエダンサー〟を取材しました。

指先や、つま先まで美しくしなやかな動きが人々を魅了するバレエ。その優雅さの背景には、一つ一つの動きを極める毎日の積み重ねがあります。

■五月女翔子さん(18)
「私の中でずっとバレエは楽しい。舞台に立つ瞬間というのが幸せだし楽しいなって思いをもちながら、ずっと子どものころからやっています。」

新発田市出身の五月女翔子(そうとめしょうこ)さん、18歳。6月下旬に留学先のベルギーから帰国しました。翔子さんは4歳のとき、当時暮らしていた横浜でバレエを習い始めました。6歳のときに新発田市に引っ越し、新潟市のバレエスタジオに通い始めました。

■五月女翔子さん(18)
「母がバレエを習わせたいということでバレエ教室に連れていってもらって、その時の私が『やりたい』と言ったみたいで始めました。夢という感じで『バレリーナになりたい』と思っていました。」


新潟市西区にある『苅部初江バレエ研究所』。翔子さんはここで、6歳から留学する16歳までバレエを習っていました。新潟に帰ってくると、ここでバレエを踊ります。

■苅部初江バレエ研究所 苅部克子さん
「翔子ちゃんが入ってくると、お花が咲いているようなそんな子でした。発表会の前の日に足をケガしてそれでも発表会に出ている、気は強い、頑張ってもらいたいです。」


翔子さんの母・奈緒美さん。娘に寄り添い成長を見守ってきました。

■翔子さんの母・五月女奈緒美さん
「もう可愛いしかないですね。我が子が1番上手って思うんですよね。特別上手かというとそうではなかったんですけれども、舞台に立つとすごく光る子だなと思って。まず、楽しそうに踊っていて。」

初めてコンクールに出場したのは小学6年生のとき。しかし、なかなか上位に入ることができなかったといいます。

■五月女翔子さん(18)
「その時はちょっと意識が足りなかった。コンクールには『出てみたい』という好奇心だけで出て、でも全然結果もついてこないし。」


転機となったのは、新型コロナ禍でした。思うように練習ができなかったとき、家族の協力で一室を練習部屋に。

■五月女翔子さん(18)
「ここで練習を始めて、自分で工夫して練習するようになってから、ちょっとずつ入賞できるようになってきました。」

翔子さんは、中学2年生の時に出場した『NAMUE(ナミュー)バレエコンクール』で初めて入賞しました。

■五月女翔子さん(18)
「めちゃくちゃうれしかった。やってやろうっていう気持ちで、オーロラ姫の気持ちで優雅に(舞台に)出ていったのは覚えています。」
「バレエをする上で基礎がやっぱり1番大事で、立ったときにこっちの軸が落ちているなとか、おなかが落ちているなとか思ったら、自分で確認して『ここが1番きれい』とか考えながら練習しました。」

<自分を見つめなおす>
その時間が翔子さんをより強く、美しく成長させました。

2023年4月、挑んだのはベルギーのアントワープ王立バレエ学校のオーディション。結果は見事『合格』。2年間の留学が決まりました。

■五月女翔子さん(18)
「率直にうれしかったです。これで留学できるんだと、大好きなバレエを一日中毎日練習できる環境に行けるんだって。」

そのとき、翔子さんは高校2年生。県立新潟高校に通っていましたが、家族の応援もあり中退することを決断しました。

■五月女翔子さん(18)
「もう留学する時点で『プロになろう』というのは決めていて。もう留学するからには勉強(学業)じゃなくて、絶対にバレエのダンサーになるっていう強い気持ちをもって留学しました。

■翔子さんの母・五月女奈緒美さん
「高校は1年しか留年できないのでもう退学っていうこと。そうなると本当に『バレエの道で成功してもらうしかないよね』と思った。」


始まったベルギーでの留学生活。
そこで待っていたのはバレエ漬けの毎日でした。

■五月女翔子さん(18)
「もうみんな毎回レッスンのあと『疲れた』という感じで、ジャンプとかも永遠に跳ばされたりとか。でもそれが体力づくりにすごく良かったなって思っています。」

しかし、練習量の多さにアクシデントが・・・。

■五月女翔子さん(18)
「結構ガツガツしたレッスンをまだ筋肉が足りない状態で受けていた。疲労骨折を3・4回してしまった…。」

何度も疲労骨折を繰り返し、一時 日本に帰国したこともあったといいます。それでも翔子さんは踊ることをやめませんでした。

■五月女翔子さん(18)
「そのときは結構やっぱり焦りとか、exam(試験)に出られないかもとかはあった。学校にフィジオの先生(理学療法士)もいるので、いろいろマッサージとかテーピングをしてもらったりして、ケアしながら1年目はケガとの闘いって感じでした。」


ヨーロッパのバレエ団への入団を希望していた翔子さん。
留学2年目は、オーディションの年でした。

■五月女翔子さん(18)
「2年目はとにかく自分と向き合った1年。ひたすら学校終わった後も自習したりとか、土曜日はもちろん自習するという感じ。」

オーディションで訪れた国は、日本を含め7カ国。
挑戦を続ける中で、このまま続けられるのか悩んだこともあったといいます。

■五月女翔子さん(18)
「こんなつらいことをしてまでも、みんなやりたいのと思って。『どうなの』と自分も『やりたいの』となったときもあった。でもやっぱり舞台に立つと、なんかこんな幸せな瞬間なんてないなって。やっぱり舞台に立ち続けたい。」


転機となったのは、新国立劇場バレエ団のオーディション。
バレエ学校の公演と重なり、特別に設けられたプライベートオーディションに挑戦。その日のうちに〝合格〟をいただいたといいます。

■五月女翔子さん(18)
「もう本当に最初は信じられなくて『私でいいんですか』という感じで。『アーティストとして入団してほしい』と言っていただいたので、頑張ろうという気持ちです。」

『新国立劇場バレエ団』は日本最高峰ともいわれる、国内唯一の国立劇場付属のバレエ団。その一員として9月からプロとしてのキャリアをスタートさせます。

■五月女翔子さん(18)
「まずはカンパニーの雰囲気に慣れて、ダンサーさんたちの間に入ってもなじんでいけるように努力を欠かさず、新国立劇場のダンサーにふさわしいダンサーになれるように努力していきたいなと思っています。」
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