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2025.08.01長岡空襲から80年「忘れない日であってほしい」市内で追悼行事【新潟・長岡市】

長岡空襲から80年「忘れない日であってほしい」市内で追悼行事【新潟・長岡市】
当時13歳だった平澤甚九郎さんが空襲の記憶を語る
太平洋戦争末期、1400人以上の命を奪った空襲から80年が経ちました。
1945年8月1日の長岡空襲から今日(2025年8月1日)で80年です。長岡市では朝から犠牲になった人たちを悼む行事が行われています。

市街地の8割を焼失し、1489人が亡くなった『長岡空襲』。太平洋戦争のさなか長岡市は県内で唯一、大規模空襲による被害を受けました。周辺で多くの犠牲者が出た平潟神社では午前6時から慰霊祭が行われ、100人ほどの市民が参列しました。

■空襲当時6歳 今泉恭子さん(86)
「燃えていないところを探しながら、家と家の間を縫って逃げていきました。今日という日は、みなさんも忘れない日であってほしいと思っています。」


アオーレ長岡で開かれた平和祈念式典には、遺族や小・中学生ら約850人が参列。磯田達伸市長は「空襲について胸に刻み、次の世代に語り継いでいかなければならない」と訴えました。そして、当時13歳だった平澤甚九郎さんが空襲の記憶を語りました。

■空襲当時13歳 平澤甚九郎さん(93)
「恐る恐る外を見ますと、すでに柿川の対岸の空が赤く染まり、大手通りの方は燃え上がって前の道路は避難する人の流れであふれていました。」

式典の最後には、小国中学校3年生の湯本羽那さんが平和への誓いを述べました。

■小国中学校3年 湯本羽那さん
「私たちは戦争で亡くなった全ての人の思いを背負って生きていかなければならないと思う。たった80年前に起きたこの悲惨な現実を過去として風化させないために。」

■空襲当時13歳 平澤甚九郎さん(93)
「本当に人命は尊いものだと思うんです。それが戦争は人間の命を軽くしてしまうんですね。むごいものです。あってはならないものですね。」

このあと空襲が始まった時刻となる午後10時30分には、慰霊の花火『白菊』が打ち上げられます。
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