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2025.10.02【特集|来月で拉致から48年】「言って言って言い続けて・・・」娘・めぐみさんの誕生日を前に母・横田早紀江さんがUXのカメラに語る【新潟】

【特集|来月で拉致から48年】「言って言って言い続けて・・・」娘・めぐみさんの誕生日を前に母・横田早紀江さんがUXのカメラに語る【新潟】
早紀江さんがめぐみさんと一緒にかなえたい夢は・・・
10月5日、新潟市で北朝鮮に拉致された横田めぐみさんが61歳の誕生日を迎えます。
事態の進展が見られない中、11月で拉致から48年。母親の早紀江さんがUXのカメラの前で、『今の心境』と『忘れられない記憶』を明かしました。

横田めぐみさんの母・早紀江さん。9月30日、川崎市の自宅マンションでUXのインタビューに答えてくれました。

まず話してくれたのは、2年半前の出来事-

■横田めぐみさんの母・早紀江さん
「朝ご飯を食べて、どこかに出かけなきゃいけなかったと思うが、パッと立ち上がったとたんに真っ白になって・・・何にも見えなくなって。一瞬気を失っているような感じになって、死んじゃうんだって。」

2023年2月ごろ、自宅で体調を崩した早紀江さん。軽い狭心症と診断され、カテーテル手術を受けました。以降、体調に問題はないと話しますが、新幹線などを使う遠出は控え、マスクも必需品です。

■横田めぐみさんの母・早紀江さん
「完全に治っているわけではないから『また起きるよ、きっと』と言われ、無理をしてはいけないと言われているが、どうしても無理になってしまう。」

横田めぐみさん。1977年11月15日、当時通っていた新潟市の寄居中学校からの下校途中に北朝鮮に拉致されました。

■横田めぐみさんの母・早紀江さん
「いつもあんなに元気でね・・・行ってきますって元気に友達とあの日も一緒に行ったんですけど。どうしてあの子がそういう目に遭うんだろうって、本当にわからなくて。」

11月15日で拉致から48年-
早紀江さんは2026年2月に90歳を迎えます。

■横田めぐみさんの母・早紀江さん
「やっぱり90歳という字が怖いですよね。90歳かっていう感じ。案外、気持ちは若い方でなんでも興味があって・・・。」

最寄りのスーパーには、運動もかねて徒歩で30分。ほとんどの食事を自炊し、魚料理は決まって週に2回。身体に気を使った毎日を過ごしています。

■横田めぐみさんの母・早紀江さん
「普通に90歳を迎えるならありがたいと思えるんですけど、この恐ろしい問題がまだ何にもわからない状態で、これだけ歴代の総理大臣にお願いして早く結果を出してくださいと言って言って言い続けて・・・。」

共に戦ってきた父・滋さんは5年前に他界・・・。2025年2月には、1983年に北朝鮮に拉致された有本恵子さんの父・明弘さんが亡くなり、政府認定の拉致被害者でいまだ帰国が果たせていない親世代は、早紀江さんただ一人となりました。

めぐみさんの双子の弟で拉致被害者家族会の代表を務める拓也さんは、そのことを強調します。

■横田めぐみさんの弟・拓也さん
「(母・早紀江は)89歳です。今日元気でも、明日は元気ではないかもしれないという年齢です。本当に残された時間がないことを、日本政府・北朝鮮当局は理解してほしい。」

■横田めぐみさんの母・早紀江さん
「何とか元気でどういうふうに(生活)しているのか、写真だけでも出してくれてね・・・。そういうことができないのか、一生懸命(政府に)お願いに行っているが。」

長すぎる48年という時間-
その中で、家族にも内緒にするほど感情が揺さぶられた出来事があったといいます。

■横田めぐみさんの母・早紀江さん
「息子たちに言ったら絶対に反対するよねって、これだけは内緒でこっそり行こうって。」

2014年にめぐみさんの娘、キム・ウンギョンさんとのモンゴルでの面会です。

■横田めぐみさんの母・早紀江さん
「でも一言だけ、前の日の夜9時半ごろだったか、(長男の拓也さんに)ちょっとだけ話があると言ってちょこっと話をしたらびっくりしちゃって、思ったとおり『(横田家だけ)そんなことしてもいいのか』と言われたけど、もう決めたことだったので何も言わないで黙って胸にしまっておいて、また話をするからと。」

このときの会話とウンギョンさんの表情が忘れられないといいます。

■横田めぐみさんの母・早紀江さん
「ウンギョンちゃんは、とにかくお母さん(めぐみさん)は死んだと。お墓も家の近くに作ってあるというようなことを言っていたが・・・おばあちゃんはね、びっくりするかもしれないけど不思議なことにめぐみちゃんは強い子だから絶対に生きていると思っているのよって。思わず言ってしまって、ご飯のときに。めぐみちゃんも一緒にみんなで(日本に)会いに来るような状況のときに、あなたも一緒に来てちょうだいって。そのときには、みんな大喜びして日本中が喜んでくれるよって。それまで我慢してねって。(ウンギョンさんが)ぽろぽろ涙を流してね。」

2002年、当時の小泉総理大臣が海を渡り、曽我ひとみさんや蓮池薫さん夫妻など5人が帰国して以降、総理大臣の座に就いたのは9人。いまだ一人の帰国も果たせていません。

4日には自民党総裁選を控え、新たなリーダーを決める渦中にあっても〝拉致問題〟が大きく語られることはありません。

■横田めぐみさんの母・早紀江さん
「本気度がある人ですよね。本当にこのことにかけて本気でこんなことは許せないんだと、そういう人が現れてほしい。」

この日、早紀江さんはあるものを持参してくれました。

■横田めぐみさんの母・早紀江さん
「めぐみちゃんが小さいときに読み聞かせばかり頼む子でね、いろんなこういう本があるんですけど、この本が大好きで真っ黒に・・・。」

めぐみさんが4~5歳のころ、何度も読み聞かせたというめぐみさんお気に入りの本「びりっかすの子ねこ(ディヤング作)」。
子ねこが過酷な運命に放り出されながらも、自分の足で立ち上がり幸せをつかむ物語です。

■横田めぐみさんの母・早紀江さん
「『子猫子猫』と言って持ってくるから、開けてはまた読みだして。この間 読んだばっかりでしょとか言いながら読んでね。こんな感じの本がいっぱいあるんですよね。」

本が大好きだっためぐみさん。
将来の夢を語ることはなかったといいますが、毎日のように本を借りては読み漁っていたそうです。早紀江さんは、めぐみさんが借りてきた一冊の本について、今でも後悔していることがあると明かしてくれました。

■横田めぐみさんの母・早紀江さん
「めぐみがいなくなるちょっと前に『お母さんね、この間借りてきたオレンジ色の表紙の本なんだけど』布でできているようなオレンジ色の本で『読んだらすごい大切なことが書いてあった』『すごく大事なことだった』と言っていたんですよ。もう返しちゃってそれしか聞いてなくて、気楽に思っていたんですけど・・・。」

娘のめぐみさんが感じた大切なこととは何か―

早紀江さんはめぐみさんが姿を消したあと、すぐにその一冊を探しに寄居中学校の図書室に行ったといいます。

■横田めぐみさんの母・早紀江さん
「何かヒントが得られるかと思って探しているんですと(学校の先生に)言ったら、2~3日前に書棚を全部整理したところでいらない本を捨てて新しくなったばかりだと先生に言われた。」

内容も、タイトルも、わからないまま。
めぐみさんは、5日に61歳の誕生日を迎えます。自宅には、新潟の自宅でとった着物を着ためぐみさんや、入学式の日に寄居中の桜の前で父・滋さんが撮影した制服姿のめぐみさん。そして、北朝鮮で生活し大人になっためぐみさんなど、5枚ほど写真を飾っているといいます。

■横田めぐみさんの母・早紀江さん
「ケーキだコーヒーだなんて写真のところに置いたって、かえってかわいそうな目にあわせてるんじゃないかって。」

早紀江さんには、めぐみさんと一緒にかなえたい夢があります。

■横田めぐみさんの母・早紀江さん
「青々とした緑のきれいなところ、空と、きれいに輝く雲があって。そこに羊がいたりして、そこで自由だと言ってお母さんと一緒にパタッと大の字で寝転がったら一番いいなって。」
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