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2025.06.05【拉致問題】48年間変わらない悔しさ…母・早紀江さん「『めぐみちゃん、よく帰ってきたね』と言えるまで」:めぐみさんの父・滋さんの死去から5年【新潟】

【拉致問題】48年間変わらない悔しさ…母・早紀江さん「『めぐみちゃん、よく帰ってきたね』と言えるまで」:めぐみさんの父・滋さんの死去から5年【新潟】
解決できない悔しさを訴え
拉致被害者・横田めぐみさんの父・滋さんが亡くなってから、6月5日で5年が経ちました。89歳となった母・早紀江さんは、解決できない悔しさを訴え続けています。

■めぐみさんの母・横田早紀江さん
「この“くし”、お父さん(滋さん)に『これからおしゃれした方がいいよ』って、めぐみちゃんがプレゼントした“くし”なんですけど。もうボロボロになってますけど、革もめくれちゃってね。これをお父さん(滋さん)は大事にしてましたね。」

6月3日、滋さんの写真とともに会見した横田めぐみさんの母・早紀江さん。滋さんが亡くなって5年、毎日写真に語りかけています。

■めぐみさんの母・横田早紀江さん
「『いつまでたってもダメなんだよね、お父さん』と言って、本当のことを話すんですけど。全然わかんないよね、動かないよねってイライラしながら頭をなでたりしながら写真に向かってつぶやいている。」

5年前の2020年6月5日、老衰のため87歳で亡くなった滋さん。めぐみさんとの再開は果たせませんでした。

■めぐみさんの母・横田早紀江さん(当時)
「『私が今度行くときは忘れないで待っててね』と大きな声でいうと、片一方の目を開けてうっすら涙を浮かべたような感じで、それからスッと眠るように亡くなった。」

1977年11月15日に新潟市で、北朝鮮に拉致された横田めぐみさん。あの“くし”をプレゼントした滋さんの誕生日の翌日でした。
脱北者からの証言で、北朝鮮による拉致と判明したのはそれから20年後―

■めぐみさんの父・横田茂さん(1997年)
「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会の代表をいたします、横田でございます。私たちの息子や娘たちを返してください。」

滋さんは、他の拉致被害者の家族とともに家族会を結成し、初代代表として被害者の救出に奔走。2002年には、蓮池薫さんら5人が帰国を果たしたものの、そこに、めぐみさんの姿はありませんでした。

■めぐみさんの父・横田茂さん(2002年9月)
「私はいい結果が出ることを楽しみにしておりました。しかし、結果は死亡という…残念なものでした。」

しかし、めぐみさんが死亡した証拠は示されていません。
その時、滋さんの隣に座っていたのは当時・拉致議連の会長を務めていた石破総理大臣。

5月に家族会が主催した集会に出席し、当時の思いを語りました。

■石破茂総理大臣
「私はその光景を一生忘れることはないし、それが私の拉致問題に取り組む原点であることに何ら変わりはない。」

その上で、「首脳同士の決断と具体的な行動が必要」だと述べました。

■石破茂総理大臣
「何としても突破口を開くべく、首脳同士で率直に話し合い正面から向き合わないといけない。北朝鮮に対してこれまで行ってきた様々なルートでの働きかけを一層強めてまいります。」

滋さんの思いを継ぎ、現在 家族会代表を務めるめぐみさんの弟・拓也さん。
切実な思いを、国のトップにぶつけます。

■めぐみさんの弟・横田拓也さん
「家族会の親世代で健在なのは私の母でもあり、めぐみの母でもある早紀江さんひとりだけです。89歳です。今日元気でも、明日は元気でないかもしれないという年齢です。本当に残された時間がないことを日本政府、北朝鮮当局は理解してほしい。」

なぜ解決できないのか-
早紀江さんは48年間、変わらない悔しさと戦い続けています。

■めぐみさんの母・横田早紀江さん
「『めぐみちゃん、よく帰ってきたね』と、はっきり言えるまでは本当に頑張ってまいりたい。みなさん、自分のお子さんの問題として、国民として、日本の国家がこんなことでいいのかと本当に真剣に私は思っています。」
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