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2026.08.25【特集】トヨタ自動車 近健太社長に単独インタビュー:故郷・新潟、豊田会長、クルマの未来は【新潟】

【特集】トヨタ自動車 近健太社長に単独インタビュー:故郷・新潟、豊田会長、クルマの未来は【新潟】
トヨタ自動車のトップに立つ新潟市出身・近健太社長(58)
世界的な自動車メーカー『トヨタ』のトップに就任した新潟市出身の近健太社長がUXの単独インタビューに応じました。新潟での思い出やクルマの未来、秘書を務めた豊田章男会長への思いなどをたっぷりと伺いました。

売上高50兆円。1000万台を超えるグループ販売台数で世界1位の『トヨタ自動車』。そのトップに立つのが、新潟市出身の近健太社長(58)です。新潟高校を卒業後、東北大学に進学。1991年にトヨタ入社後は主に経理部門を歩み、財務トップのCFOなどを歴任。2026年4月に第13代社長に就任しました。

<Q.新潟には帰省する?>
■トヨタ自動車 近健太社長
「つい先日、お墓参りで行ってきた。」

<Q.恋しくなる新潟の食べ物は?>
■トヨタ自動車 近健太社長
「十全なす、ナス漬けよく売っていますよね。あれは好きです。」

<Q.学生時代の部活は?>
■トヨタ自動車 近健太社長
「高校は、軽音楽ですね。(Q.バンド?)そうですね。(Q.バンドの担当楽器は?)たまにやるときには、ベースギター。いまよりも若干髪が長かったと思います。」

入社直後の新人研修では、新潟市の販売店に数カ月配属されました。

■トヨタ自動車 近健太社長
「いっぱいカタログや名刺を入れたカバンを持ち、一軒一軒ひたすら回り続ける。そのお宅に8回通って(1台車を)買っていただいた。1000万台と年間の販売台数は数字にすると一言でポッと言えてしまうが、あのときに買っていただいた1台の積み重ねがそういう大きな数字になる。いまでも思い出すし、忘れられない経験です。」

近社長が社員として歩み始めたのは、まさにトヨタが急成長した時期。1997年に発売された世界初の量産ハイブリッド車『プリウス』が世界的に大ヒット。海外での販売台数が急増し、好業績が続きました。

しかし、2008年のリーマン・ショックが自動車業界を直撃し、トヨタは創業期以来 初の赤字に転落します。

■トヨタ自動車 近健太社長
「販売の見通しが毎月毎月 下方修正されていく。(収益見通しは)毎月アップデートするごとにガンガン落ちていく。私は経理だから商品を数字で見ていた。結果的にそのやり方は違っていた。車そのものを見ずに、台数利益を通じて見ていた。トヨタ販売はマーケットが落ちる以上に落ちた。赤字になった、15%減で。」

この危機を乗り越えるため、2009年に経営を託されたのが14年ぶりの創業家出身の社長・豊田章男会長です。打ち出したのは「もっといいクルマをつくろうよ」というシンプルな考え。そのとき秘書を務めることになったのが、近社長でした。

<Q.豊田氏の考えは理解できた?>
■トヨタ自動車 近健太社長
「正直なことは『もっといいクルマって何ですか』だった。答えを待っていた。それが違うんだ そんな答えはないんだよと。みんなが考えてそれぞれ行動していく先にある。僕は最初分からなかったです。(豊田社長から)『少し会話できるようになったな』と1年ぐらいたって言われたのはよく覚えている。逆に言うと、1年間ぐらい会話にならんかったのかなと思いました。」

トヨタは、さらなる危機に直面します。
同じ年に起きたリコール問題です。

トヨタはアメリカでの死亡事故をきっかけに、世界で数百万台規模のリコールを実施。2010年には豊田章男氏がアメリカ議会に招致され、下院の公聴会で厳しい追及を受けました。

その後、事業撤退や海外工場の閉鎖など厳しい決断を相次いで下すトップの姿を目の当たりにしました。

■トヨタ自動車 近健太社長
「すごく孤独だったなと見ていて感じました。本当にぐっと考え込んでいた姿もありました、1人で。トップの決断は、その決断によって悲しい思いをする人の顔を思い浮かべながらするのだということを当時よく聞きました。」

社長という同じ立場になった今、約8年間秘書として見た豊田氏の姿が自身の〝軸〟になっているといいます。

■トヨタ自動車 近健太社長
「いまは(トヨタの)責任者というと豊田章男会長1人だと思う。責任を取るといって本当に取ってきた豊田のこれまでの行動があって、責任者になっている。いつか近が言っていることが責任を取っていることだと、世間の人・ステークホルダー・株主・販売店・仕入れ先・客が思ってくれるように、ひとつひとつやっていくしかないのというのが、今の『責任』に関して私自身の考えです。」

新潟のモノづくりに話が及ぶと、トヨタとの意外な関係を明かしてくれました。

■トヨタ自動車 近健太社長
「トヨタ初代チーフエンジニアの中村健也氏は、長岡高等工業学校(現新潟大学工学部)出身。中村氏は関西の出身だが、わざわざ長岡まで学びに来た。トヨタでは、センチュリーやクラウンの生みの親ですね。(新潟は)それくらいモノづくりの基盤がある。」

トヨタのピックアップトラック『ハイラックス』。そのアップグレードパーツのひとつ『士別フィン付きアンダーカバー』は、燕三条地域の企業と共同で開発しました。高難度のプレス加工や職人の『手曲げ』など、燕三条ならではの技術が生かされています。

■トヨタ自動車 近健太社長
「(ハイラックスやRAV4に新潟企業の製品を採用した)もっといいクルマを日本全体で作っていかないといけないので、仲間が増えることは本当にうれしい。頼もしい。」


〝クルマの未来〟はどのようになっていくのか。

トヨタは2025年9月に開業した実証都市『ウーブン・シティ』で、未来のモビリティを生み出す取り組みを進めています。クルマ社会の新潟が抱える過疎や豪雪などの課題を、未来のモビリティが解決する可能性に触れました。

■トヨタ自動車 近健太社長
「動かなくても移動販売車がものの方から近くに行く。10m20mでも家から出て、欲しいものを買って、そこに出てきた近所の人たちと話しをする。これは『モビリティ』の大事な役割だと思っている。ウーブン・シティで実証よりも実装段階にある。モビリティの役割は変わるというより、どんどん増えるという未来を思っている。」
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