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2025.05.29【特集】思うように動かない体…悔しい「新潟水俣病」救済を訴える患者たちの思い【公式確認から60年|新潟】

【特集】思うように動かない体…悔しい「新潟水俣病」救済を訴える患者たちの思い【公式確認から60年|新潟】
県内で唯一の『胎児性水俣病患者』古山知恵子さん
5月31日で『新潟水俣病』の公式確認から60年を迎えます。救済を訴え、今も症状と戦い続ける患者たちの思いを取材しました。

■新潟水俣病第5次訴訟 皆川栄一原告団長
「今年は、新潟の水俣病も60年を迎えます。なぜ、今になっても争っていかないといけないのか。」

新潟水俣病第5次訴訟の原告団長を務める皆川栄一さん(81歳)。
5月15日、東京高裁で控訴審の3回目の口頭弁論が開かれました。2013年、原告らは国と原因企業の旧昭和電工に損害賠償などを求め、裁判を起こしました。1審の新潟地裁は2024年4月、先に審理を終えた原告47人のうち26人を水俣病と認定、旧昭和電工に1人あたり400万円を支払うよう命じました。

一方、国の責任は認められず、この判決を不服として皆川さんを含む原告45人が控訴しました。

■新潟水俣病第5次訴訟 皆川栄一原告団長
「最初から原告146人の全員救済を掲げてきた。」

60年前の1965年に公式確認された『新潟水俣病』。旧昭和電工が阿賀野川にメチル水銀を含んだ工場排水を流し、汚染された魚介類を食べた人が手足の感覚障害など神経症状に苦しめられました。

提訴から12年。
皆川さんは、原告146人の高齢化が進む現状から早期解決と全員救済を強く訴えています。

■新潟水俣病第5次訴訟 皆川栄一原告団長
「平均年齢は75歳となっていて、原告35人の尊い命が解決を見ずに亡くなっている。早期解決を訴えるのが第一。」

――――――
新潟市東区に住む菅原ハルさん(85歳)。
第5次訴訟原告団の1人です。菅原さんは阿賀野川の河口近くに住み、20代のころ毎日のように川魚を食べていました。

■菅原ハルさん
「そのときは(川魚を食べるのは)当たり前みたい。漁師の奥さんから買ったものは、活きが良くて新鮮だと思い食べていた。」

若いころは大きな病気もしなかったという菅原さん。しかし、40代に入ってから次第に両手のだるさや指のしびれを感じるようになりました。

■菅原ハルさん
「私の病気は何なんだろう。はっきりと病名が分かるだけでもいいと思い(病院に)行った。」

病名がわからず、何十年も不安な日々を過ごしていました。
10年前、医師から診断されたのは『新潟水俣病』でした。

■菅原ハルさん
「驚いた。何十年も(川魚を)食べていたわけじゃないから大丈夫だと。自分自身(新潟水俣病を)軽く考えていた。」

症状は改善されず、毎日コーヒーを飲むにも手の震えが邪魔をします。

■菅原ハルさん
「手が震えて、ガタガタする。ときどきこぼすこともある。」

思うように動かない体…日常生活でも家族や周りの人の力を借りなければなりません。

■菅原ハルさん
「歯がゆい。イライラしてきますし、情けなくなる。」

菅原さんは、長い間マスコミの前で顔を出すことを控えてきました。
しかし、皆川さんをはじめ原告団らが解決に向けて奮闘する姿を見て、気持ちが一変しました。

■菅原ハルさん
「私も頑張らなきゃという気持ちで、自分1人で留めておくよりも言った方がいいんじゃないかという気持ちで。」

表に立ったことで、知り合いから心無い言葉をかけられることもあるそうです。

■菅原ハルさん
「涙が出る、悔しくて。名前も出しているのに(新潟水俣病として)認知されなかったら“ニセ患者”だったと言われてもしょうがないと、そういうことが最近心配になってきた。(川魚を)食べた人がこうやって訴えている。皆さんに認知してほしい。それを国に訴えたい。」

――――――
『新潟水俣病』の症状に悩む人はほかにも。

「よろしくお願いします。」

古山知恵子さん(60歳)。古山さんは母親の胎盤を通してメチル水銀の影響を受け、4歳で『胎児性水俣病』に認定されました。話すことが難しく、悔しい思いを何度もしました。

■新潟水俣病患者会事務局 荻野直路さん
「友達がトーキングエイド(音声の出る文字盤)を貸してくれたから電話してみたら、いたずら電話だと思われた。どなられた。怖かったし、悔しかった。」

古山さんは、県内で唯一の『胎児性水俣病患者』。
病気のことを多くの人に知ってほしいという思いとは半面、注目を浴びることについて複雑な思いを抱えていました。

■古山知恵子さん
「苦しかったことは、自分と親が周りの目を気にしていた。」

現在は、新潟市北区の障がい者施設で生活していますが、いずれは一人暮らしをしたいという夢があります。

■古山知恵子さん
「友人や支援者の方々がうちにも来てくれたりして、一生懸命やってくれた。」

古山さんは詩を書くことが好きで、小学生のころからたくさんの作品を作りました。こちらの詩は『どうすることもできない想い』。2年前、当時の古山さんの気持ちをつづりました。

私には今
心のそこから愛する人がいる

その人と結ばれたなら
どんなに良いだろう
けれど叶わないことだろう
この気持ち
どうすることもできない・・・つらい

■古山知恵子さん
「(Q.どういう思いで書いた?)好きな人というか信頼している人との別れ、たまに連絡する。」

古山さんが愛する人への思いを詩に込めました。


5月31日、新潟水俣病の公式確認から60年の式典『新潟水俣病の歴史と教訓を伝えるつどい』が新潟市で開かれます。浅尾慶一郎環境大臣が出席する予定で、古山さんは患者を代表し、一人暮らしの実現に向け支援制度の充実などを訴えます。

■古山知恵子さん
「水俣病という病気があること・胎児性水俣病があること、それによって苦しんでいる人・苦労している人がいることを忘れないでほしい。」
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